大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(ワ)13434号 判決

原告

神奈川県自動車交通共済協同組合

被告

大東京火災海上保険株式会社

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四七八万円及びこれに対する昭和六三年一〇月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 昭和五五年一〇月一一日午前八時一〇分ころ、神奈川県横浜市保土ケ谷区藤塚町六番地先路上において、訴外萩原衛(以下「萩原」という。)の運転する普通乗用自動車(品川五八さ八九七七)が一時停止していたところ、訴外横浜小型運送有限会社(以下「訴外会社」という。)所有の普通貨物自動車(横浜一一い二八二五。以下「加害車」という。)に追突されるという事故が発生した(以下「本件事故」という。)。

(二) 本件事故により、萩原は、入院約三カ月、通院延べ約六カ月間を要する鞭打ち症等の傷害を負い、眼動脈の循環不全に起因する視力障害(右眼視力〇・〇二、左眼視力〇・一)が後遺障害として残存した(以下「本件後遺障害」という。)。

萩原の本件後遺障害は、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「自賠法施行令等級表」という。)の第六級一号(両眼の視力が〇・一以下になつたもの)に該当する。

2  訴外会社の損害賠償債務の支払

萩原は、本件事故により被つた本件後遺障害に基づく損害の賠償を求めるため、訴外会社外一名を被告として訴えを横浜地方裁判所に提起し、右訴訟は同庁昭和五七年(ワ)第八四六号事件(以下「横浜地裁訴訟」という。)として審理された結果、昭和五八年三月二五日、訴外会社は加害車の運行供用者として本件事故により萩原が被つた損害を賠償すべき責任があるところ、本件後遺障害は自賠法施行令等級表第六級一号に該当するとして、逸失利益(金二三一四万三五八七円)、慰謝料(金一〇〇〇万円)及び弁護士費用(金一五〇万円)の合計金額から填補額(金五二二万円)を控除した金二九四二万三五八七円と右金員の支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を命じる判決が言い渡され、右判決はその後確定した。

原告は、神奈川県下に事業場を有する貨物自動車運送業者の交通事故による対人及び対物損害に対する共済等を事業目的とする組合であり、訴外会社との間で加害車につき交通共済契約を締結していたことから、右判決に従い、萩原に対し、訴外会社を代理して、昭和五八年四月一三日、元利合計金三〇八九万四七六六円を支払つた。

3  自動車損害賠償責任保険契約の存在

被告は、自動車損害賠償責任等の保険及び自動車損害賠償保障事業を業務目的とする会社で、訴外会社との間で加害車につき昭和五五年六月一七日から昭和五六年七月一七日までを期間とする自動車損害賠償責任保険契約を締結していたところ、本件事故により生じた萩原の後遺障害については、自賠法施行令等級表第九級一〇号に該当するに過ぎないとして、右等級に相当する保険金額五二二万円を支払つたのみで、その余の支払を行わない。

しかしながら、萩原の本件後遺障害は、前記のとおり自賠法施行令等級表第六級一号に該当するものであつて、訴外会社は、右第六級一号に該当する旨の前記確定判決に従い、萩原に損害賠償を行つたのであるから、訴外会社は、被告に対し、自賠法一五条(加害者請求権)に基づき、右第六級一号の保険金額である金一〇〇〇万円から既払額の金五二二万円を控除した金四七八万円の支払を求める権利(以下「本件加害者請求権」という。)を有していた。

4  債権譲渡

訴外会社は、原告に対して本件加害者請求権を譲渡し、平成三年六月六日、被告に対してその旨の通知を行い、同月一〇日に右通知は被告へ到達した。

5  よつて、原告は、被告に対し、本件加害者請求権(自賠法一五条)に基づき、金四七八万円及びこれに対する本訴状が送達された日の翌日である昭和六三年一〇月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の趣旨に対する認否

1  請求原因1のうち、萩原に本件後遺障害が残存したことは否認し、その余は知らない。

本件事故は軽微な追突事故に過ぎず、その後の治療経過、治療内容、診断内容からみても、萩原に眼科的所見はなく、器質的障害もない。したがつて、萩原に原告主張のごとき視力障害が生じるということは考えられず、他の障害と併せて自賠法施行令等級表第九級一〇号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)に該当するに過ぎないのであつて、現に、自動車保険料率算定会も、右第九級一〇号の認定を行つている。

2  同2のうち、原告が主張する内容の判決がなされたこと、原告の事業内容及び原告と訴外会社との間で交通共済契約が締結されていたことは認め、その余は知らない。

被告は、右判決手続には何ら関与しておらず、右判決に拘束されるものではない。

3  同3のうち、萩原の後遺障害が自賠法施行令等級表第六級一号に該当することは否認し、訴外会社が被告に対して本件加害者請求権を有していたことは争い、その余は認める。

4  同4については、認める(本件加害者請求権の発生は右のとおり争う。)。

三  抗弁

本件事故により萩原に残存した後遺障害が、自賠法施行令等級表第六級一号に該当するものであつても、それは心因性のものであるから、損害額は減額されるべきである。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠

本訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  甲第一号証、甲第一一号証及び甲第一二号証並びに弁論の全趣旨によれば、原告が請求原因1(一)で主張する本件事故が発生した事実を認めることができるところ、原告は本件事故により萩原に本件後遺障害が残つた旨主張し、被告はこれを否認しているので、まずこの点について判断することとする。

二1  萩原の本件事故後の入通院経過並びに判断名及び症状は以下のようなものであつたことが認められる。

(一)  茅ケ崎徳洲会病院(乙第一号証の一及び二並びに乙第一一号証)

(1) 期間 昭和五五年一〇月一二日及び同年一一月六日通院

(2) 診断名 頚部捻挫、背部打撲

(3) 症状 頚部及び肩部痛、嘔気、左上肢の痺れ、軽度の眩暈あり。頚部レントゲン検査で第五~六椎間板の狭小化と骨棘形成、バルソニー陽性。

目がチカチカする。

(二)  平塚市民病院(乙第二号証の一及び二及びに乙第九号証)

(1) 期間 右同年一〇月二一日及び同年一一月七日通院

(2) 診断名 外傷性頭頚部症候群、頚椎捻挫

(3) 症状 左偏頭及び項部痛、嘔気、右手及び左前腕の痺れ、眩暈、左耳鳴りあり。頚椎レントゲン検査で第五~六椎間板の狭小化と骨棘形成。

目のかすみ、両側の著明な羞明、両眼結膜充血あり。

(三)  片山整形外科記念病院(乙第三号証の一及び二並びに乙第四号証の一及び二)

(1) 期間 右同年一一月一〇日から同年一二月二七日まで入院

(2) 診断名 頚部捻挫、頭部打撲傷

(3) 症状 頚背部筋肉痛著明にて頚椎の前後屈不能、左顔面及び左下肢の痺れあり、上肢の知覚鈍麻。

流涙著明、眼痛あり。

(四)  日本専売公社東京病院(以下「東京専売病院」という。)(第一回目)(甲第二号証、甲第三号証、乙第六号証の一ないし三及び乙第一二号証)

(1) 期間 昭和五六年一月二二日から同年四月一〇日まで入院した後、同年四月一三日から同年七月一一日まで通院(実通院日数は不明)

(2) 診断名 外傷性頭頚部症候群

(3) 症状 項部のはる感じ、顔面神経の知覚低下、左上肢及び右下肢の痛覚低下あり。

視力低下あり。視力検査の結果は、二月一八日が右〇・五、左一・二、二月二〇日が右〇・六、左一・五、四月一三日が右〇・一、左〇・三(両眼矯正不能)、四月二四日が右〇・〇四、左〇・二(左眼矯正不能)、五月一八日が右〇・〇二、左〇・一、七月一一日が右〇・〇二、左〇・一(両眼矯正不能)というものであつた(なお、四月二四日検査時における右眼及び五月一八日検査時における両眼の各矯正可能性については、甲第三号証では矯正可能とされているものの、同病院での診療録である乙第一二号証中には、矯正不能との記載((一二枚目「視力変化」と題する記載、二三枚目「証明書」と題する記載))も認められ、いずれであるかを確定することは困難である。)。

(五)  七沢障害・交通リハビリテーシヨン病院(現在の名称は「神奈川リハビリテーシヨン病院。以下「七沢病院」という。)(甲第七号証、甲第八号証、甲第九号証及び乙第一〇号証)

(1) 期間 昭和五七年六月二日から同年七月三日まで入院した後、同年七月四日から一一月一五日まで通院(実通院日数は不明)

(2) 診断名 むちうち障害、頭頚部損傷による眼障害

(3) 症状 頭痛、頚部痛、肩甲部痛、両上下肢痛及び痺れ感、両上下肢筋力低下、顔面及び四肢の知覚障害

眼痛、視力低下。視力検査の結果は、七月三日が右〇・〇二、左〇・〇六(左眼矯正不能)、九月二〇日が右〇・〇二、左〇・二(左眼矯正不能。両眼とも求心性視野狭窄((右三〇度、左四〇度)))というものであつた。

(六)  東京専売病院(第二回目)(乙第一二号証)

(1) 期間 昭和五七年一一月一日ころから昭和六三年一〇月三日ころまで(この内、昭和五九年一〇月四日から昭和六〇年二月一日まで及び同年五月八日から同年九月二日までは入院。実通院日数は不明)

(2) 診断名 外傷性頚部症候群

(3) 症状 頭痛、項部痛、両上下肢痺れ感

右目かすみ、両眼視力障害

2  右認定の入通院経過、各診断名及び症状の事実に加え、甲第二号証及び甲第一〇号証の一によつて認められる「視力障害の原因は、外傷によつて視神経に栄養を与えている循環に障害が起こり、これによつて視神経の障害が引き起こされたということにあるのではないか。」という東京専売病院阿部医師の見解(以下「阿部見解」という。)及び甲第一一号証によつて認められる本件事故以後視力障害が生じたとする萩原の供述を併せて考えれば、原告が主張する本件後遺障害の存在を是認できるようにも思われる。

3  しかしながら、前示各視力検査の結果の信用性及び阿部見解の合理性には、以下に検討するとおり疑問があるといわなければならない。

まず、視力検査の結果の信用性について考えてみるに、調査嘱託の結果によれば、前示の東京専売病院での視力検査は万国式視力検査表に基づき行われたものではあるが、右検査方法は、患者の誠実な協力があつて初めて適切な検査結果を得ることができるものであり、患者が故意に嘘をついている場合には、嘘であろうことは推測できることもあるが、確認することは不可能であることが認められ、更に、〈1〉前示各視力検査の結果として表れている数値をみると、東京専売病院での数値は悪化する一方であるが、事故後半年を経た時期から低下し始めた(甲第一〇号証の一中の阿部医師の供述によれば、このこと自体は不合理でないことが認められる。)にもかかわらず、その後三ヵ月ほどの間に急激に低下しており、その後、七沢病院での左眼視力は一カ月半の間に〇・〇六から〇・二へ急激に改善していること、また、前示のとおり東京専売病院では両眼ともに矯正可能性について動揺がみられ、一時期は両眼とも不能とされていたのに七沢病院では左眼のみ矯正不能とされていることなど、視力検査の結果自体が不自然であること、〈2〉東京専売病院の診療録(乙第一二号証)中には、昭和六〇年五月八日から同年九月二日までの入院について、入院時の視力として「rt=〇・二(〇・六)、Lt=〇・二(〇・七)」との記載及び退院時の問題点欄に「視野、視力については問題なし」との記載があり、昭和六〇年九月二日の時点ではその視力に特段の問題がなかつたこと(同号証四八枚目)等の事実に鑑みれば、前示東京専売病院(第一回目)及び七沢病院(七沢病院で用いられた検査方法については証拠が存しないものの、当時は他覚的検査方法が存在しなかつた旨の証人乾医師の証言等からすれば、検査方法の客観性については東京専売病院と変らないものであつたものと推認できる。)での各検査結果として表れた数値についてはその正確性に疑いの残るところである。

次に、阿部見解の合理性について検討してみると、萩原が本件事故により負つた傷害であるいわゆる鞭打ち症により視力障害が生じる場合が存することについては、甲第一九号証等によつても認められるところであつて、甲第一〇号証の一によつて認められる阿部医師の供述及び証人乾医師の証言もこのことを前提としているものと考えられる。そして、右阿部医師の供述によれば、その場合に考えられる発生機序としては二通りあり、一つは原告が本件後遺障害の発生機序として主張する前示の阿部見解であり、今一つは外傷によりくも膜が炎症を起こして肥厚し視神経を圧迫したことによるというものであるが、後者については、くも膜の肥厚を示す所見が本件では存在しないということから阿部医師自身によつて否定されている。そこで、阿部見解について本件での妥当性を判断するに、乙第七号証(平塚医師意見書)、乙第八号証(乾医師意見書)及び乙第一三号証(神立医師意見書)並びに証人乾医師の証言によれば、鞭打ち症から視力障害が発生する一般的な機序としての阿部見解は是認できるものの、右機序により視力障害が発生する場合には、対光反射の異常等の瞳孔異常、眼底の視神経萎縮や視神経乳頭の発赤等の他覚的・器質的所見が現われるはずであることが認められるところ、前示各病院では再三に渡り精密眼底検査等を行つているにもかかわらず、各病院の診療録等本件全証拠を精査しても右他覚的・器質的所見の存在を認めることはできない。したがつて、阿部見解を萩原の視力障害の発生機序を説明する根拠として採用することはできないものといわなければならない(そもそも、阿部見解の前提となつた視力検査の結果自体が疑わしいことは前示認定のとおりである。)。

4  以上で述べたところの、前示各病院での検査結果の正確性に疑いが残ること及び各視力検査の結果を合理的に説明する発生機序が認められないことに加え、甲第一八号証、甲第一九号証等の文献によつても、いわゆる鞭打ち損傷ないし頭頚部損傷により本件のような顕著な視力低下が報告された例は認められないことからすれば、萩原に本件事故による受傷によつて本件後遺障害が発生したと認めることは極めて困難といわざるを得ず(ちなみに、乙第一二号証中には、萩原が昭和五九年四月二八日に別の追突事故に遭遇したと推測させる記載もある。)、他に、萩原について、被告が自認する自賠法施行令等級表第九級一〇号を超える後遺障害が残存したことを認めるに足りる証拠はない(なお、乙第七号証及び乙第一三号証の前示各意見書では、他覚的・器質的所見の認められないことや求心性視野狭窄の存在などからして、視力障害が残存したとしても心因性のものである旨の意見が述べられているが、仮にこれが肯定されるとしても、前示認定のとおり現在までの視力の数値が大幅に変動を繰返しており、各検査結果の正確性に疑いが残ることからすれば、これを症状固定後の後遺障害たる視力障害として把握し、原告主張のような等級認定をすることはできないものというべきである。)。

5  したがつて、その余の事実について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないということになる。

三  なお、被告は、前示横浜地裁訴訟の当事者とはなつておらず、訴訟告知がなされたという事実も認められない以上、被告が右確定判決に従うべき法的理由は存在しない。

四  以上により、本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 稲葉威雄 石原稚也 江原健志)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例